オステオパシーにおける主要原則
身体は一つの膜で繋がり合っている。
人は一つの部位から様々な部位へと繋がり合っています。
手羽先を食べようとしたときに、皮を噛み、引っ張っていくと、骨や奥深くの筋肉までつながっていると思います。
人は一つの細胞から形成されます。これは受精卵から胎児になるまでの過程がそれを裏付けています。
一枚の膜が折り重なり、反転し、ひとつの肉体を形成していくのです。
参照元:http://www.zmescience.com/science/biology/how-to-build-a-human/
私があなたの膝関節の疼痛をコントロールしようとするときに膝のみの施術ではなく、背中にも施術を行うときがあります。
これも膜を介して体同士がくっついているからです。
一人の人間をみていく
肉体同士が繋がり合い、互いに影響しあっている話は、あくまでも肉体の話です。
一人の人間は肉体だけではなく、その中に通う心、魂もあるとオステオパシーの哲学は教えてくれます。
たとえるのであれば、酒を飲む人が肝臓を傷めてしまった場合、
肝臓移植をすれば、その人は本当に救われるのでしょうか。
お酒を飲んでしまう心の行い(行)についても考える必要性はあると思いませんか?
人の身体だけを診て終わりではないのです。
身体は自己調整能力、自己治癒力を持っている
あなたが転倒し、膝を擦りむいたとします。その際、安静にしていれば自然と傷口は修復されていきます。
膝の傷をふさごうとあなたが考えなくても、この反応はオートマティックに行われます。
また、あなたが風邪をひいてしまったとき、安静にしていればまた、回復してきます。
治癒が働く範囲内の外傷や病であれば自然と修復されるように人は作られています。
しかし、反復するように外傷やストレスが身体の一部分に続いてしまったり(デスクワークが続く、立ち仕事でよくうつむいて作業をするなど)、
強い外力が加わり広い範囲で損傷がみられたり(交通事故や転落など)、
ストレスや外傷などで自己治癒力が減退し、うまく治癒が始まらないことが多々あります。
添加物や精製糖が多くはびこる世の中の影響もあり、血液の供給や治癒に働くための栄養が習慣的に不足していることも、
自己治癒が進みにくくなる要因の一つです。
気(メンタル)、
血(栄養状態や血流の良し悪し)、
動(運動習慣や動きの癖など)の調和を保つことが重要と説く学者さんもいました。
オステオパシー創始、A・T・Still(アンドリューテーラースティル)博士も動脈がフリーに機能し、排液のシステムが機能することの重要性を説いています。
本来であれば治癒するはずの身体が上手く治癒に向かわない時、私たちオステオパスの出番があるかもしれません。
治癒が上手く働かない部位に対して働きかけ、
あとはそっとしていれば、自ずとあなたの身体がオートマティックに修復へと向かうはずです。
オステオパスが体を治しているのではなく、あなたの身体自身が治すことをやってくれています。
あなたの治癒力に委ねられているところが大きいのです。
苦しみや痛みはあなた自身を大きく飛躍させてくれるきっかけになっているのではないかとも考えています。
機能と構造は互いに影響しあっている。
身体の構造(骨の配列や筋膜の柔軟性、臓器や血管など)が変化すれば、当然そこに流れ込む液体に影響が出ることが想像できます。
過去に胆嚢の手術や盲腸の手術などを受けたとしましょう。
傷口はふさがっているように見えても、中で癒着等を引き起こして、
膜(腹膜など)の本来の動きが出づらく、“よれ”が生じていることが多いです。
このよれがあることで、身体内に存在する水分の流動性に影響が出ます。
引用:アナトミートレイン第3版
オステオパスはこのよれを見つけるために
あなたと話たり、全身を診たりします。
オステオパスはこのよれに対して、
修復や再度バランスを取り直そうとします。
オステオパシーの歴史
オステオパシーの始まりは、100年以上前のアメリカが発祥とされています。
創始者はA.T.Still(アンドリュー・テーラー・スティル)博士です。
父親は牧師。博士は南北戦争で北軍の医師として参加していました。
博士はご自身のお子さんが立て続けに亡くなってしまう悲劇を経験します。その当時の医学は水銀を用いるような治療などもあり、博士はそれらに対して疑問を持つようになります。その後、研究を続け、ある法則を見つけました。
1874年、博士は「動脈の働きが阻害されれば1時間または1分後には病気が人体を破壊に導く種を撒き始める。」「構造が機能を決定づける」という真実を公表しました。
博士は自分自身がすごいのではなく、この法則が偉大であり、それを見つけることができたことは栄誉に感じるとしています。
当初は世間から受け入れられることが難しかったそうで、「薬も出さない医師は、狂人だと」揶揄されることもあったそうです。しかし、博士は治療を受け入れてくれる人々に治療を続けました。そうするうちに効果が多くの人に認められるようになってきます。博士の治療院に向かう道はいつも人が行き交うので、草がそこだけ生えていない道が出来上がるほどだったそうです。